(GP代表 住田 崇)
今から100年ほど前、中国で54年間も生活したイギリス人宣教師がいた。アーサー・ヘンダーソン・スミスである。彼には『中国人の素質』という著書がある。中国人論を外国人として初めてまとめた本で、魯迅などもこの本を読み、影響を受けたとされている。
中国語を学ぶにおいて、彼の中国人論を理解することは重要なことだ。『中国人の素質』は100年の時を経ても、今を生きる中国人と接していて、とても興味深く、共感できるものがある。私の経験も交えながら、数回に分けて紹介したい。
1.『面子要緊』(面子が重要である)。
中国人と交流していくと、「中国人は面子を最も大事にしている」と話す中国人に出会うことは多いだろう。中国人は人前で「体面をつぶされること」を非常に嫌い、つぶした相手へのうらみつらみは、すごいというのだ。しかし、何も中国人に限らず、「面子」はどこの国の人間にとっても大事であることは一緒だ。「面子」は中国人の特権ではない。しかし、日本人が考える「面子」と、中国人が言う『面子』は少し性質を異にしている気がする。中国人は「大きな失敗をすること、他人に馬鹿にされること」によって「面子を失う」だけではないようだ。
アーサー・H・スミスは、この中国人の言う『面子』が含む意味を理解するために、忘れてはならないことがある、と記している。中国人は本能的に、生活のあらゆるシーンで「芝居を打っている」というのだ。何か問題が生じたとき、中国人は「自己防衛」するため、周囲の人間に向けて話しを始める。そして、そこが彼の(彼女の)舞台となる。そこで、自分の問題が解決されれば、その舞台から自ら下りることになる。しかし、問題が解決されなかった場合、舞台を下りるタイミングを失うことになる。その瞬間、中国人の言う『面子』がつぶされる。きれいな言葉で形式的にでも舞台に幕引きできれば、問題の本質が解決されようが、されまいが関係はない。その場をしのぐ「適当な着地点」を見つけ出せれば、「自己防衛」は果たされ、「面子」は保たれたことになる。もし、周囲の人間の中に、「問題解決」にこだわり、この「適当な着地点」を彼から奪ったり、彼の「自己防衛のための芝居」を中断させるようなことがあれば、それこそが中国人の最も嫌う「面子をつぶされたこと」になる、というのだ。
中国語に『和事●(人偏に老の字)』という言葉がある。日本語で言えば「とりなし役、仲裁人」だ。中国の地域社会には今でもこの『和事●』という人間がいる。問題が生じたときに、その問題の本質を白黒はっきりさせ解決するのではなく、まさしく対立する人間達が演じる「自己防衛のための芝居」をきれいに幕引きさせる役目だ。勝ち負けを決めるのではなく、関係者全てが「適当な着地点」を持てるようにとりなすことが中国では大事だ。これは、あらゆる生活シーンの中で、必要とされる能力である。
街中で大声でけんかしている人達も、失敗や過ちを犯して、言い訳をする人達も、「芝居を打っている」のだ。必要なのはその場における「適当な着地点」であり、形だけでも、きれいに幕引きをできるタイミングなのだ。それを忘れては、絶対に中国人とはうまく付き合っていけない。
問題の本質は、芝居の幕引き後、ゆっくりと解決していくものである。| 代表PROFILE: 住田 崇(すみだ たかし) 立命館大学卒業。在学中は南京大学に留学。23歳で初めて中国語を学ぶ。大学卒業後、京都新聞社編集局で記者として約8年、滋賀、京都を中心に取材・執筆。同社を辞めた後、家族3人一緒にニュージーランド・クライストチャーチで4ヶ月過ごし、2005年、家族で北京へ。中国人研修生派遣、語学留学生、農民工の問題を中国の現場から取材。発展著しい北京で、独自の視点から中国現地情報、中国語学習教材を日本へ発信することを目的にしたGOKU-PROJECTを起業して、現在に至る。 |

